マラソンの聖地としての須賀川の姿


 

【円谷死すともその魂は死なず】

 

円谷幸吉は、須賀川の生まれである。その須賀川の英雄である円谷幸吉の生きざまを伝えることは、次世代の人々にコトやモノの限界を学ばせる、いい機会といえるのではないだろうか。円谷幸吉記念館には言葉では伝えられない、人生の光と影を映し出した暗黙的なメッセージがあり、これらを取り上げることは、彼の功績を風化させないことでもある。坂という試練の多いこの地でのマラソン競技は、これからの日本を支える「がんばる日本人」を生み出すことだろう。

 

昨今、地域の活性化を目指して各地でマラソン大会が数多く実施されている。

特に、円谷マラソンの実施日前後で開催される猪苗代湖ハーフマラソンとの兼ね合いが難しい。2012年は同日、同時刻スタートであった。また、2013年は1週間後に実施される。このレースは、企業活性化のための「商業マラソン」であり、成績優秀者には東京マラソンの出場権も与えられる。2013年は市民ランナーの川内優輝も出場することもあり、話題にはことかかない。さらに、この大会は、さらに猪苗代湖を中心とした「トライアスロン」に発展するかもしれない。それにしても、円谷マラソンとの連携はみられそうもないようだ。

 

【マラソンにおける須賀川市の強み】

 

須賀川市には、百花繚乱のごとく、いろいろな名所旧跡や名物がある。しかし、なぜか「円谷幸吉」の話は、なかなか表にはでてこない。そこで、新たな強みを考察してみた。

 

❶物語性のある大会:円谷幸吉の生誕地であり、遺書や遺品のある記念館がある。そのメモリアルレースは30年の節目を迎えた30回大会では、往年のランナーである君原健二に加え、長距離トラック選手の弘山晴美が参加した。あの有森裕子も墓参りに訪れたという。マラソンの苦しさと楽しさを経験した一流ランナーのみならず、ランニングを愛好する人々が、円谷幸吉に接することで、元気づけられる。

 

 ❷陸連公認の厳しい坂:須賀川には、円谷を育てた特異な地形ともいえる馬の背を中心とした坂がある。日本陸連の公認を受けたコースの途中には、円谷の生家があることも強みのひとつだ。まさに、円谷幸吉の寡黙な雄叫びが聞こえてくるようだ。

 

❷容易な地域連携:46年の歴史がある青梅マラソンのスローガンは「円谷幸吉と走ろう」だ。須賀川からの参加選手が、「青梅マラソン」での優勝を目指す理由となるばかりでなく、ボストンマラソンと提携関係にあることから、須賀川→青梅→ボストンという連携も話題性がある。青梅マラソンと円谷マラソンの境遇が似ていると思うのは、わたしだけだろうか。


【マラソンの明るい未来を目指して】

 

青梅マラソンには、もう30年以上でているが、走るたびに円谷幸吉のことを思い出す。スポーツは、最終的に道具を使わない「走る(歩くも含む)」に帰着する、という話を聞いたことがある。昨今のランナーも、 健康維持のためだけでなく、日常の生活のテンポの中に、「走る」ということを取り入れていくことだろう。いずれにせよ、須賀川には「円谷幸吉」という男がいた。この男の思いを伝えるためにも、須賀川のまちを「日本のマラソンの聖地」として、社会に認知してもらうことを願ってやまない。

Yuji Hasebe

須賀川市の場所