円谷幸吉メモリアルホール


「幸吉は、父母上様の側で暮らしとうございました。」の遺言から、父:幸七は自宅の一室を「円谷幸吉記念館」として遺品の数々を飾った。少なくとも、幸七にとっては自慢の息子であり、死に至らしめた一端を担ったのではないかという悔恨の念から、外部での記念館建設に関しては断り続けてという。幸七は、ながらくその部屋で寝泊まりしたという。老いとともに、記念館の維持が困難になったことから、やがて須賀川市の要請を受け入れ、2007年(平成19年)、須賀川アリーナの一角に「円谷幸吉メモリアルホール」が完成した。(詳細は、以下須賀川市スポーツ振興協会のホームページを参照願います)

円谷幸吉メモリアルホール内部(須賀川アリーナHPより)
円谷幸吉メモリアルホール内部(須賀川アリーナHPより)
▲円谷幸吉メモリアルホール玄関
▲円谷幸吉メモリアルホール玄関
▲円谷幸吉メモリアルホール概観
▲円谷幸吉メモリアルホール概観

須賀川アリーナの場所


■場   所: 須賀川市牛袋町5 須賀川アリーナ内

 

■開館時間: 午前9時から午後5時まで

 

■休館日: 毎週月曜日

       (月曜日が国民の祝日のときは翌日)

      12月29日から1月3日まで

メモリアルホールのWebサイトはこちら
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*現在の場所からのルートを表示します。

円谷幸吉の眠るお墓

円谷幸吉の墓は、須賀川市のメインストリートから3分位のところにある「十念寺」にある。入口を抜け、30m進み、左に曲がって30mといったところだろうか。毎年、メモリアルマラソンに参加する「君原健二」は、レースが終わると、缶ビールを供え、在りし日の姿を思い浮かべるという。

円谷幸吉の墓は、須賀川市のメインストリートから3分位歩いた先の「十念寺」というさる宗派のお寺にある。入口を抜け、30mほど進み、左に曲がって30mといったところだろうか。ひときわ大きな墓石がみえる。毎年、メモリアルマラソンに参加する君原健二は、レースが終わると、缶ビールを半分飲み、残った半分を供え、在りし日の姿を思い浮かべるという。1992年バルセロナで銀メダル、1996年アトランタで銅メダルを獲得した有森裕子も、幸吉の墓を訪れたという。最後まで頑張り抜く、あのランナーの思いは、この円谷から受け取ったのかもしれない。

*2012年10月のお寺は工事中だった