遺言状の文学的見方

川端康成


雑誌「風景」の中で、円谷幸吉の遺書について感想を述べている。


要約:ありきたりの言葉が、実に純な命を生きている。そして遺書全文の旋律をなしている。遺書につきものの臭味・厭味・誇張・虚飾また自己否定か肯定、そして自己の弁護や顕示がみじんもない。ひとえに素直で清らかである。売文の徒である私は・・・己の文章を恥じ自身を問責し絶望する。社会の辛酸をなめた大人は、時として、子供の純朴さに触れるとき、己の穢れた姿をみるのだろう。感謝の言葉に満ち溢れた円谷幸吉の遺書に感情を押さえきれない。


それから5年後、川端康成は72年の生涯を自ら閉じた。過去の生育歴のみならず、終戦直前に鹿屋の特攻隊の出撃を、終戦直後に島木健作を見送った川端康成は、その後、[死を生きているようなもの]だったようである。

 

吉田永宏は著書の中で[川端康成は円谷幸吉の遺書に触れ、ひとへに素直で清らかな自然死に近い自栽を希求したのだろう]と述べている。[死生観]死を意識すると世界が美しく見えるのかもしれない。特攻隊の目的は死ぬことではない。円谷幸吉の目的も死ぬことではなかったはずだ。27年間を一生懸命に走り続けた円谷幸吉の必死な思いは、戦後22年を経ても、深層の意識の中に潜んでいたのかもしれない。

三島由紀夫


三島由紀夫は、1968(昭和 43)年 1 月 13 日の産経新聞夕刊に「円谷二尉の自刃」と題して追悼文を寄せた。円谷の死について、「それは傷つきやすい、雄雄しい、美しい自尊心による自殺であった」とし、「円谷選手のような崇高な死を、ノイローゼなどという言葉で片付けたり、敗北と規定したりする、生きている人間の思い上がりの醜さは許しがたい」と述べ、自衛隊関係者の意見を批判している。

                                              引用:岡部祐介(早稲田大学 大学院スポーツ科学研究 )2007 論文

野坂昭如


遺言の深層にあるもの。。。。。